■時代と流行|テレビの栄枯盛衰 その経緯を考察する

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テレビ離れが止まらない、それでもテレビ業界は変わらず

■視聴者をないがしろにするテレビに未来は無い

「奢るものは久しからずや」の格言(ことわざ?)どおり、かつてはこの世の春を謳歌したテレビ業界にも、暗雲が漂うようになってからしばらく経っている。このまま盛者必衰の道を歩むのか、それとも再びかつての栄光を取り戻すのか。

 それは誰にもはっきりとしたことは言えないし、神のみぞ知るところかもしれない。しかし、過去の事例でいえば、奢り高ぶった者達の末期は破綻しか残されていなかった。日本の歴史は言うに及ばず、中国4000年の歴史でも、世界の歴史でもそれはおなじくであった。とこしえに続く栄華はないに違いない。

 テレビが変調しだしたのは、2000年代になってからと思われる。そして、インターネットという新しいメディアツールが台頭し始めた時期でもあった。テレビはインターネットを侮っていた。一部のオタクにしか浸透しないとでも思ったに違いない。それは、ソニーがアップルを侮ったように。

 テレビはメディアの王として、まだ視聴者を思いのままに操作できると勘違いしていた。テレビ、広告代理店、スポンサー企業は、三つ巴で視聴者を騙す算段を計画した。それが00年代中頃から10年代前半に掛けて行われた。

 実態のない、嘘偽りの流行現象を創りだそうとした。それが韓流であった。断っておくが当方はネトウヨではない。事実をありのままに書こうとしているだけである。たとえ嘘でもメディア王のテレビが、それを本当として放送すれば視聴者は簡単に騙せると奢ったのであった。

 しかし、世の中はすでにテレビや広告代理店が思うような状況になかった。一時的には効果はあったが、すぐに底が割れたように真相が暴かれた。それは言うまでもなくインターネットのおかげであった。

 かつてならば、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の4大メディアを広告代理店が抑えれば、事無きを得たが、もはやそれは通じない時代となっていた。大手ネット業者は抑えることができても、個人のネットメディアまでは無理である。

 それは、一党独裁の中国共産党でも難しいことである。

 現在、2015年ではテレビを支えている視聴者は、70代以上の高齢世代、専業主婦、農漁業従事者たち、そして元ヤンなどしかいないとまで言われている。テレビの未来を支える肝心の若者たちは何処に行ってしまったか。

 2011年に起きたフジテレビに対する抗議デモは記憶に新しいところである。過度な韓流偏重に抗議したものであった、しかしそれは単なるきっかけでしかなかった。その本当のところは、テレビ=信頼できないメディアに対する反発であった。

 韓流より以前からテレビは嘘を付いていた。ニュースでもドキュメンタリーでもやらせは当然であった。演出、編集という工程がある以上それは必然でもあった。また、なんでもかんでもバラエティだからという言い訳もあったからだ。

「面白可笑しいものを見たいんでしょ」というテレビの奢りはもはや通じる時代には無い。テレビは、公共の電波を利用していることを、いま一度考え直すことから始めない限り、視聴者は戻ることはないだろう。

 しかし、すでに手遅れかもしれない。すでに振り子は振られてしまって戻ることはできない、そんな気がするがいかに。

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テレビとインターネット

 テレビがインターネットに押されはじめたのは、2000年代初頭からと思われる。当時は、まだスマホは無かったがインターネットに特化したPCとしてiMacが売れていた時期である。また、ネット環境も安価になり進化もしていた。

 テレビとインターネットの違いは、どこにあるか。それは幾つかあるので以下のように整理してみました。(取り敢えず思いつくままに)

<テレビ>
・ごく限られた事業者のみが参入できる
・事業主体主導の情報発信
・高度な技術や多額の費用が求められる
・スポンサーの意向が強く反映される
・営利主義(NHK除く)

<インターネット>
・誰でも参加ができる
・事業者に限らず、個人でも情報発信ができる
・たいして費用も技術もいらない
・事業者は別として、個人にスポンサーの影響は無い
・非営利主義(事業者は別)

 テレビは許認可事業であり、誰でも参入できるものではない。それに対してインターネットは、環境さえあれば誰でも参入、あるいは参加できる。これが、最大の違いであるだろう。他のメディアである新聞や雑誌と比較してもおなじくである。

 したがって、限られた事業者しか参入できないテレビは、元々奢る体質を内包していたと言っても過言ではない。なんせ、選択肢はとても狭い範囲でしかない。一般市場での競争を考えれば、自ずとその差が歴然であるのが分かる。

 特定のテレビ局が、視聴者を操作しようと考えたことは必然であった。なにしろ限られたメディアであるからだ。そして、それはスポンサーや、特定の政治勢力にも好都合であった。また広告代理店にも利益があった。

 広告代理店は、ある目的を達成するためにテレビを手段として活用し、大きな成果を上げていた。しかし、インターネットの隆盛とともにその仕組みは通用しなくなった。もはや、テレビで視聴者=消費者を動かすことは難しくなった。

 テレビの視聴率は、年々右肩下がりしていきその影響力も低下している。それでもなお、テレビ関係者の体質は変わることがないようだ。一般社会では、そっこく首となってもおかしくない利益享受を受けたアナウンサーが、なんの処分もないままにテレビに出続けている。

 どうやら盛者必衰の道は、まだまだ先だと思っているか?。はたしてテレビ局の思惑どおりにいくかどうか高みの見物である。そう遠く無い時期に、その結論はでるだろうと思われるがいかに。

<メディア別広告費>
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インターネット広告費は、1兆円を超えた。アメリカでは、すでにテレビ広告費を超えたそうだ。

テレビと韓流の関係式

 2003年〜04年にかけて放送された「冬のソナタ」が評判を呼んだことで韓国のテレビ番組が注目を集めるようになった。それ以降、多くの番組が放送されて「韓流」という言葉も定着するようになった。

 2009年、民主党が政権を奪取した頃には、新たな韓流ブームになっていた。それは、韓国から多くの歌手(主にグループ)が来日し日本デビューをしていた。テレビ局では、それを後押しするかのようにその話題を取り上げていた。

 また、多くの芸能人も何故か韓国、韓国を連発していた。一般の視聴者はなんだかよく分からないが、そんなにすごいんかと疑問に感じていた人も多かったはずだ。なんでまた急に、テレビで韓国ばかり取り上げるのか不思議な光景であった。

 ところが、やがてその理由が分かってきた。それは韓国が国家の政策として韓流ブームを作ろうとしていたのが、要するに韓国大衆文化コンテンツの拡販政策であった。日本でそれを請け負ったのが広告代理店であったのは言うまでもない。

 テレビ局や芸能人、新聞社や雑誌社は、広告代理店の差配の元で仕事をしていたに過ぎない。テレビ局があれほど肩入れしたのは理由がある。それは、版権の権利の一部を頂いていたからに他ならない。つまり利益のためだったのだ。

 2011年、俳優の高岡某氏があまりに韓流コンテンツが多いと、その違和感をSNSに書き込んだ。これが、あっという間に話題となり、高岡氏は何故か事務所を首になる始末となった。事務所がテレビ局の意向を汲んだ結果であった。

 この高岡SNS事件をきっかけにして、一般大衆の違和感に火がついてしまった。多くの人達が、何か変と思っていたからだ。そこに、有名人である高岡氏が正論を投げ込んでしまった。

 そして、それはフジテレビ抗議デモに発展していったのである。

 この抗議デモをきっかけにして、スポンサーの不買運動まで起きた。これに懲りた各テレビ局は、徐々に韓流からフェードアウトしていく。フジテレビは、これ以後は視聴率もどんどん下がり続けていまだに上がり目も無い状況になっている。

テレビの信頼への裏切り

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 昨今では若者たちのテレビ離れが顕著となっている。何が問題であったか。それをテレビ局関係者は検証したのだろうか。

 フジテレビ抗議デモで一般大衆=視聴者は、テレビは信頼できない、信用できないことに怒ったのだ。以前よりあった偏向した報道や番組のやらせに気付いていても暗黙の了解としたが、今度ばかりは黙っていられなかったのだ。

 公共の電波を使って利益を追い求めるばかりか、視聴者を騙し、嘘の情報を流すことにである。だいぶ前からテレビは変だと気付いていたが、韓流偏重がだめ押しとなり、もはやテレビの信頼は失われたと言って良いだろう。

 テレビは、その奢った体質故に自分で自分の首を締めたのである。それは自業自得であるのは、言うまでもないことであった。

 インターネットがいまほど浸透する以前では、一般大衆はテレビの情報にあまり疑問を持たなかった。それはテレビ関係者には、とても居心地のいい時代であった。テレビに関係してるといえば、尊敬のまなざしを受けたに違いない。

 ところが、昨今ではテレビといえば嘘ばかりつくメディアとして認知されてしまった。テレビは見ても誰もその情報を真実として受け取ることは無い。ある意味では当然であるが、なにしろインターネット以前では比較するものがなかった。

 新聞はあっても、新聞社はテレビ局の親玉であり資本関係にあったからだ。

 また雑誌もおなじく広告代理店の差配からは逃れられない宿命にあったのは言うまでもない。わずかに「噂の真相」のような弱小メディアが、ときどき内情を暴露していた程度だった。しかし、それもいまはない。

 いまでは、インターネットがかつての「噂の真相」のような弱小メディアの役割を担っていると言っていいだろう。しかし、おなじではない。なにしろネットでは無数に存在しているからだ。そしてさらに拡散していくことが可能である。

 テレビ局関係者は、時代は変わったという認識を新たにする以外に、もう残された道はないに等しいだろう。しかし、いったん栄華を経験したかれらにそれができるかどうかは疑わしいが。

軽チャー路線の終焉

「面白くなくてはテレビではない」「楽しくなければテレビではない」などと唱って一世を風靡したのが、フジテレビであった。ところが、現在このテレビ局は視聴率は右肩下がりの真っ最中である。

 時代は変わったのである。いつまでもあると思うなバカな視聴者とお金である。フジテレビに限らず、どこのテレビ局でも相変わらずバラエティ偏重が著しい。まるで、もうそれ以上は何も思いつかないというばかりにである。

 海外のドラマを観たあとでは、もはや日本のテレビ番組、とくにドラマは観るに値しない。いつの日か、日本でも海外ドラマばりに予算を掛けた良作が観られるといいが、いまのところそんな兆候はまったくない。

 海外、とくにアメリカではケーブルが主体であったが、ネットフリックスというネットを通じて番組を配信する新たな番組供給事業者が現れている。すでにケーブルからネット配信が主流となりつつあるともいわれている。

 日本では相変わらず地上波が主流である。衛星などもあるが、あくまでおまけ的でしかない。この番組供給と放送体制が変わらない限り、番組の企画や質に変化はないだろうし、テレビが存続する価値も見いだせない。

 番組を企画・制作し供給する独立事業者が現れて、そして収益が見込めることではじめて良質の番組ができるのではないか。現在の地上波テレビ局の下請け体制ではなく、あらたなテレビの体制、仕組みとなっていくのではないか。

 いつまでも、広告代理店が総合的に支配し、キー局が番組制作(下請け発注)して、それを放送していく体制は長くは続かないと思われる。

 何故なら、そのシステムが現在の劣化の原因だからだ。もし、それがこれからも続くようならテレビの衰退はかなり早く訪れるに違いない、と思うがいかに。

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