音楽にも少子高齢化が垣間見える
CDが売れない音楽の未来
音楽CDが売れないと言われてずいぶんと久しいが、いま日本の音楽事情はいったいどーなっているのか、そして日本の音楽にはたして未来はあるのか、そのようなことについて考察していきたいと考えます。
なお、テーマが大袈裟に思えるかもしれませんが、当サイトではいつものことであり、話半分程度に捉えてください。あしからず。
現在、CDの売り上げが見込めるのは、ミュージシャンでは安室奈美恵ぐらいのようであり、桑田佳祐も福山雅治も売り上げを大きく落としている。他には音楽とはいえないAKB48とか、ジャニーズが売れてるぐらいのようだ。
AKB48(または乃木坂)とかは、音楽が売れているのではなく、握手券が売れているのは言うまでもない。したがって、音楽はオマケのようなものに違いない。
ミュージシャンは、CDが売れなくなったことから、活動をライブに比重を移している。スタジアム・アリーナでのライブは、03年に比較して16年では約3倍に増えている。またライブハウスやホールでのライブも約2倍に増えている。
音楽が従来のようには売れなくなった。それは業界人も重々承知のようであり、音楽のマルチメディア化などをしているが、あまり効果はないようだ。
また、日本では世間をあっといわせる音楽の誕生が久しくない。バンドも2017年にはブレイクしたバンドは皆無だといわれている。ライブは、ある意味では過去の音楽資産を食い潰す活動といえるに違いない。
音楽資産のある有名バンドやミュージシャンは黙っていても集客できるが、メジャーではない無名ミュージシャンには、集客するための音楽資産がない。さらにチケットのノルマを達成しないと次のライブができない。
ライブ市場は活性してるようだが、裏にまわれば次代のミュージシャンには、とてもきつい状況にあるのが垣間見えてくる。
<音楽公演数の推移>
ロックやジャズなどのライブやその他イベントを行う、比較的小型で立ち見中心のコンサートホール、又は可動式テーブル席を置く飲食店のこと。
地方発、ライブ事情を俯瞰する
はじめにお断りしておきますが、当方は音楽通ではありません。有名ミュージシャンのライブなどには久しく行っていないし、さらにCDの購入も、ダウンロードもしていない。もっぱらストリーミングで音楽を聴いています。
したがって、ごく普通の音楽ファンだと思います。もしかしたら普通より劣っているかもしれませんが。普通ってなんだ!といえば音楽の背景には興味がないということです。気に入ればそれでいいし、深入りはしないということです。
そんな当方であるが、最近ある衝撃(大袈裟ですが)を感じる出来事がありました。某地方都市(人口10万人以上)でのことです。数十年疎遠だった幼馴染に誘われて若手ミュージシャンのライブに行くことになりました。
ライブ・バーなど、飲食中心の業態が増えている
ライブが行われたのは、ライブハウスというにはとても狭く、しかし単なる飲み屋でもないという場所(30人も入ればいっぱい)でした。このようなところを、いまではライブ・バー、ライブ・レストラン、ロック酒場、フォーク酒場とかいうらしい。
そして、いよいよライブが開始されました。女性と男性の二人編成のユニットであり、楽器はアコースティックギターだけのシンプルなものでした。
演奏は、ビートルズの「ドライブマイカー」で始まりました。
これが、意外にもアコースティックとは思えない、なんとも迫力ある歌と演奏で聴きごたえ十分でした。しかも、原曲とは違った味わい感がありました。
コピーではなく、たぶんカバーに属する演奏であり、バンドの個性が十分感じられるものでした。なお、コピーとカバーの違いは、以下を参照ください。
既成曲にアレンジを加えず演奏することを「コピー」、既製曲に若干のアレンジを加えた演奏を「カバー」と、区別することができる。
コピーバンドは、日本独特の和製英語であり、カバーバンドの同義語であるが、コピーとカバーの違いに関する定義に基づけば、一定の区別が可能である。
要するにカバーとは、コピーにはない創造性が加味されたものといえる。
それはさておき、演奏は十分魅力的であったが、事前の情報では若手ミュージシャンということだった。しかし、どこからどー見ても若手には思えなかった。(あとで知り合いの勘違いだったと判明した)
若手といえば、20歳代ぐらいを想像すると思うが、違うだろうか。
ところが演奏も歌も魅力的なこのバンドは、どーみても50歳前後にしか見えなかった。しかも、メンバーの娘さんだという女性も来ていたが、すっかり大人であった。バンドメンバーの年齢が知れるというもんだ。
当初、若い女性(娘さん)の方がバンドメンバーなのだろうと勝手に思っていたが、なんともはや、あにはからんやであった。
いまやロックは中高年世代の音楽か
衝撃はそれだけではなく、客層にも感じることができた。とにかく、来場していた顧客の年齢層が半端なく高かった。ほぼ中高年の高年に属する人たちばかりだった。20代はメンバーの娘さんぐらいか、あとは40代でも若いくらいだった。
それは言うまでもなく、おやじバンドの世代と合致していた。
試しに隣にいた知らない人に訊いてみた。やはりバンドをやってると言っていた。知り合いにそれとなく確認すると、あの人もこの人もとばかりに、みな音楽を、そしてバンドをやってる人ばかりだった。
なんと、音楽をやってないのは当方ぐらいだったかもしれない。
いったいこの光景はなんだろうか、と不思議な気持ちになった。なぜなら、かつて、音楽、それもロックやソウル、フォークなどは若者の音楽だったからだ。
しかし、ここにいるのは、中高年ばかりだ。繰り返すが、「なんだこれは!」と思うしかなかった。「若者はどこにいったのかー」と言いたかった。
いっちゃー悪いが、周りはおっさんとおばさんばかりだ。(自分もそうだが)
思えば、ビートルズの登場からでも半世紀以上が経っている。当時のファンがおっさん、おばさんとなったのも当然である。なんともはや、感慨深いとしか言いようがない。
当方は、思わず「ふ〜む」とため息を吐いていた。と同時に日本の音楽は大丈夫かーなんて思いながら、なんとなく憂いを感じたのだった。
いでよ、若いミュージシャン!
現在の日本の人口構成比を見れば、中高年世代の音楽環境が活性化するのは当然かもしれない。がしかし、それでもなお、若い人たちの音楽環境が活性化し、そこから新しい音楽が生まれてほしいと切に願ってやみません。
ちなみにコピーはおやじに任せて、カバー、できればオリジナルを創造してほしい。音楽の創造力は、なんといっても若いうちが一番だと思うからだ。
ビートルズはあの名曲の数々を20代にすべてを創作している。
とにかく、若いミュージシャンには、おやじ世代の言うことなど「信じるな、我が道をゆけ」、そうでなくては若々しく、瑞々しい音楽など生まれないぞ、ついでに忖度などするなといいたいぞ。
と言った自分もおやじ世代でした。あしからず。
ライブハウスの現状と音楽の未来
ライブハウスは、次代を担うミュージシャンの活動の場として重要視されてきた。しかし、そこから新しいミュージシャンが誕生していないようだ。
2016年はサッチモズというバンドが一斉を風靡したが、2017年はこれまでのところ、目立ったバンドは見当たらない。バンドという形態が受けないのか、それとも音楽が魅力的でないのか、それは知る由も無いがとても残念な状況である。
昨今では、純粋な意味でのライブハウスは減ってきていて、それに代わってライブ・バー、ライブレストラン、ロック酒場といった、飲食をメインにして音楽を楽しむという業態が多くなっているそうだ。
そして、そこでは前述したように中高年世代が幅を利かせているようだ。
純粋なライブハウスは、経営が難しい状況にあるようだ。ある記事によるとライブをするバンドを多数集めたイベントを組んで、各バンドの周縁にいる人を客として呼び込んで商売にしてるそうだ。そうなると音楽を育成する場ではない。
10組のバンドを集めれば、それぞれ10人ぐらい知り合いが来場するから、すぐに100人以上は集客できることになる。ライブハウスも商売だから、音楽を育てるよりも生き残りをかけて、イベント屋になったようだ。
音楽シーンの底辺を支えるライブハウスシーンのビジネス構造
http://yamabug.blogspot.jp/2011/10/2011.html
最近、ツイッター等でライブハウスのノルマ制が俎上にあげられていたようだ。僕もアマチュアバンドにチケット買取の義務を負わせるのが当然と思うライブハウスのブッキングマネージャーは職務怠慢と思うし、立体駐車場と同じビジネスモデルに安住した経営者もライブハウスとか言うなよとは以前から思っている。ただ、僕が「ノルマ制度」を批判していたら、親しい友人で、有名パンクバンドをスターダムに押し上げた某マネージャーは「ノルマ制が広まって、ライブハウスが民主化した側面もある」と言っていた。「ライブハウスのオヤジが気に入らなくても、誰でも出られるようになって良かったんだよ」と聞いて、物事には何でも功罪両面あるんだなと思った。
また、7,8年前に名古屋の名物ライブハウスオーナーと話していて、「最近のバンドの子はノルマにしないとチケット売らないんだよね。」と悲しそうに言っていたのも思い出される。その店は最後までノルマ制を取り入れなかったけれど、周辺のお店に泣きつかれて、導入することにしたのだそうだ。
少子化と音楽離れ、そして団塊世代
かつて音楽をやるのは若い世代の特権だった。しかし、時は経ち少子高齢化となり、なぜか若い人たちが音楽から離れていった。そして、そこに現れたのが団塊の世代を頂点としたおやじバンドのみなさんだった。
業界的には、おやじたちの音楽熱は商売になると踏んだようだ。50歳過ぎたおじさんがマーティンのギターを100万円で購入したりするらしい。
商売的には、たしかにおいしいのだろう。若者は数も少なく、そしておやじほどはお金も無いからだ。おやじたちは、投資として高価なギターを買っている。
そしておやじたちは、コピーバンドをやる訳である。趣味の世界であるからオリジナルである必要はまったくない。なにかと苦労する独自性よりも、仲間と一緒に音を出すことに楽しさを感じている。
それはそれでいいと思うが、問題は業界の方だ。おやじたちにばかり目を向けていると、かれらはもうすぐいなくなるぞ。とにかく先は長くはないからだ。業界が生き残るには、若い世代の音楽への参加を促す活動にあるはずだ。
なにしろ次代を担うのは、おやじではなく若い世代なのは言うまでもない。おやじにばかり忖度してたら音楽の灯火は消えていくしかない。
なお、あくまで個人的な見解であり、間違った内容であるかもしれません。なにしろ、音楽通ではありませんので、あしからず。
動画:アルゼンチンバックブリーカーズ/千葉県市原市を拠点に活動する
動画:ソウルウェービング/福岡県久留米市を拠点に活動する
写真:千葉県木更津市にあるライブ・バー「mick」
<追記>
音楽には、コピーやカバーという概念が当たり前のようにある。音楽を楽しむという行為は、聴くだけではなく、自らが演奏し歌うことも含まれる。
ところが、アート(視覚芸術)の世界では、それらの概念はないに等しい。模写という行為はあるが、あくまで技術向上や研究のためである。画家が絵を描く場合、誰かの影響を受けてもコピーやカバーとはならない。
絵を描けば判るが、上手い下手は別にして概ねオリジナルにしかならない。一方、音楽には前述したようにコピーやカバーというものが定着している。そして、それらはけっして悪いものとはされていない。
アートの世界でシミュレーションアートというものがある。端的にいえば、引用芸術ということができる。しかし、音楽のコピーやカバーとはだいぶ違っている。
アートに、音楽のカバーの概念を取り入れたらどうなるか。ピカソのゲルニカのカバーとか、モンドリアンのカバーとか、面白いかもしれない。その場合、最初にカバー(単なるマネではない)であることを告知する必要があるだろう。
やってみる価値はあるかもしれない。しかし、たんなるゲテモノになるか、意味あるものになるかは、紙一重だと思われる。
おまけ:ダイアナ・クラーク/デスペラード
コメント