そこでは流れ行く景色と共に絶対何かが起きる
ロードムービーの傑作は、路上の先にある未知を期待させる
ロードムービーとは、映画の一ジャンルであり、広義の意味では旅の途中で起こるさまざまな出来事が、映画の物語となっている。したがって、移動の手段は自動車、鉄道、船舶など多様性がある。しかし、ここで取り上げる映画は、主に道路(路上)を車やバイクで移動しながら進行する物語をメインに紹介したい。
何故なら一番多いロードムービーの形態であり、また観る人には身近な存在性があるからに他ならない。道路というのは、現代人にはごく当たり前の存在でありながら、意外と道路の持つ意味性を見落としている。それは、道路は単にアクセスの手段ではなく、人生の途中経路であることである。
道路をある地点から目的地に向かう時間は、まぎれもなく人生の限りない時間をそこで過ごしたことになる。そのように考えると、道路を車で移動するだけでも、意外と貴重な時間であることが判る次第である。だからこそ、目的地への到達よりも、途中経路の景色や雰囲気、出会う人達こそが重要性を帯びてくる。
人生の目的は、けっして単にある地点から目的地に到達することではない。途中経路のなかで起こった出来事こそが、人生そのものであるに違いない。そのように考えると、ロードムービーはさらに面白さを輝かせるはずである。そして、意外と見落としていたありふれた関係式を明らかにしてくれる。
路上の先にある未知(道)にこそ、人生の何かがきっとある!。良い悪いは別にして、それがロードムービーの魅力の根源である。
イージーライダー(1969)
ロードムービーの金字塔!という称号は、いまでも誰も異論を挟む余地がないほどに輝きを見せている。それが「イージーライダー」である。当時のハリウッドの硬直化した大作主義に異を唱えた、そのインディペンデンスな精神性は、現在の独立系映画会社にも脈々と受け継がれている。
当時、ハリウッドの非主流派だったピーター・フォンダとデニス・ホッパーは、起死回生の策としてこの映画を企画した。当然のようにハリウッドは無視をした。そこで、仕方なく自主製作の映画としてスタートを切ることにした。そして、そこからアメリカン・ニューシネマの伝説が始まっていくことになった。
「イージーライダー」のストーリーは、簡単にいえば、カリフォルニアからルイジアナ州ニューオーリンズまでオートバイに乗って旅をする過程を描いたものだ。それだけであるが、映画が公開されると熱狂を伴って観客に受け入れられた。
その理由は、ストーリーの背景に描かれた人種的偏見や排他主義などもあるが、それよりも何よりも、改造されたバイク(ハーレー)で自然豊かなアメリカ大陸のなかを走り抜ける様子が、とにかく格好良かったからに他ならない。
さらにいえば、背景に流れる音楽の使い方が秀逸であった。ロックが映画音楽として全編に渡って流れたのは始めてだった。
とくに印象的なシーンは、カリフォルニアからニューオリンズへ旅立つ場面にある。主人公は、有り金(麻薬売買で得た)をビニールチューブに入れてバイクのタンクに隠し入れた後、おもむろに腕時計を外して砂漠に捨ててしまう。そして、バイクのエンジンをスタートさせて、走り出していく。
砂漠から、ハイウェイに乗り込んでいくが、周囲には走っている車はいない。主人公と相棒の二人のバイカーは、真っ青な青空の下、アメリカの大地のなかを風を切って颯爽とバイクを走らせていく。そのとき、突然のように背景に響き渡るのが、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」である。
チョッパー(改造バイク)は、クロームメッキを輝かせながら、緩やかなカーブを抜けていき、そして旅の始まりを象徴する橋を渡っていく。
この映画史に残る有名なシーンは、映画とロックが融合して科学反応したかのような絶妙の感覚をもたらした。そして「イージーライダー」は、ロードムービーの金字塔として揺るぎない伝説となった。
激突!(1971)
「激突!」は、無名のスティーブン・スピルバーグ監督を一躍有名にした作品である。当初は、テレビ用の映画として撮られたが、欧州や日本では劇場公開されて注目された。低予算であり撮影期間が僅か3週間余りしかなかったとか。しかし、その恐怖感の演出には並々ならぬ才能がすでに垣間見られる。
舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯にあるハイウェイである。個人的な金銭トラブルの解決に向かっていた主人公は、ハイウェイで大型タンクローリーを追い抜いたことから、何故か追われる羽目に陥ってしまう。
どこまでも追ってくる大型タンクローリーは、まるで意思のある怪物のごとく恐怖感を増幅させて止まない。主人公は、理解に苦しみながらも必死に逃げるが、それでも追ってくる。砂漠のなかのハイウェイという殺伐とした雰囲気と相まって、その心理描写には真に迫ってくるものがある。
やがて、大監督となるスピルバーグならではの傑作といえる。
バッドランズ 地獄の逃避行(1973)
実話を基にしたロードムービーである。テレンス・マリック監督が長い沈黙に入る前に撮ったいわく付きの映画でもある。映画では、ジェームス・ディーンを気取った青年とかれに恋心を抱く少女が、出会った人を片っ端から殺していきながら、無目的な逃避行をする様子が描かれている。
1958年にネブラスカ州で実際にあった「スタークウェザー=フューゲート事件」を基にしている。実際の犯人スタークウェザーは、ジェームス・ディーンにはまったく似ていない。しかし、雰囲気だけはそれとなくあったようだ。
映画では、マーティン・シーン(地獄の黙示録)が、ディーンそっくりの髪型や服装、また、佇まいや仕草など細かいところも良く真似ている。
この映画は、後の映画に多大な影響を与えたといわれている。とくに、タランティーノ監督(ナチュラル・ボーン・キラー)、フィンチャー監督(セブン)にそれが見てとれる。美しい映像と、対比するような暴力描写というアンビバレントな関係性が共通している。
ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984)
80年代に現れたニューウエーブ系インディペンデンス映画の代表作。この作品でジム・ジャームッシュ監督は、日本でも広く認知された。物語は、なんということもないチンピラギャンブラーの日常が描かれている。しかし、そこには得も言われぬけったいな雰囲気が漂っている。それがこの作品の真骨頂である。
ある日、ギャンブラーの主人公の元にハンガリーから従妹がやってきた。しばらく、面倒を見ることになったが些細な諍いが絶えなかった。そのあげく、従妹はギャンブラーの元から失踪してしまう。
それからしばらくして、クリーブランドのおばの家にいる従妹に、ギャンブラーとその相棒は自動車に乗って会いに行くことにした。このギャンブラーと相棒は、いつもハットを被っている。これが案外に格好いいのである。
クリーブランドに飽きた二人のハット野郎は、フロリダに行くことを思い立つ。従妹も誘って一緒に行くことになるが、またも諍いがあれこれと発生する。どーしよーもないギャンブラーと、堅実に生きようとする従妹のあいだで起こる道中の悲喜劇がなんともいえない可笑しさを誘う。
モノクロの映像と、主役のジョン・ルーリーのだらしない雰囲気が抜群である。
ヒッチャー(1986)
舞台は、テキサスの砂漠を走るハイウェイ。どこからともなく現れた謎のヒッチハイカーが殺人鬼だったという、ホラー的なロードムービーである。この謎の殺人鬼を、「ブレードランナー」で一躍脚光を浴びたルトガー・ハウアーが演じている。
ルトガーさんは、謎を帯びた不気味な人物を演じさせるととにかく秀逸である。この映画でも、どこまでも主人公達を追ってくる謎の殺人鬼を見事なまでに表現している。それは、「激突!」のタンクローリーに匹敵する不気味さである。
アメリカの田舎のハイウェイでは、何が起きても不思議ではない。そんな雰囲気が濃厚に漂っている。それはテキサスに対する偏見かもしれないが、知らない人にとっては実に恐ろしいと思わずにはいられない。
とにかくこの殺人鬼は、半端ない所行の数々をしでかすのである。
テルマ&ルイーズ(1991)
リドリー・スコット監督による、ごく普通の女性二人が逃避行をする羽目に陥るというロードムービーである。主婦とウェイトレスの女性二人は、週末のドライブ旅行にいくが、途中で出会った男とトラブルとなり、あげくに射殺してしまう。そこから、女性二人の逃避行が繰り広げられていくことになる。
女性二人は、現在置かれている境遇に不満や不安を抱えていて、それも逃避行に繋がる要素として描かれていく。作品は評価も高く、アカデミー賞でも脚色賞を受賞している。また、無名時代のブラッド・ピットがオーディションを経て、ちょい役で出演している。ちなみに、おなじオーディションを受けたジョージ・クルーニーは落ちている。
女性たちの車と多くの警察車両との抜きつ抜かれつのデッドヒートのシーンが秀逸である。リドリー監督の卓越した演出が冴え渡っている。
■参考として
英Total Film誌が、史上最高のロードムービー50本を発表したうちの、ベスト10は以下の通りとなっています。(なお広義のロードムービーです)
1)「イージー・ライダー」(69)
2)「マッドマックス2」(81)
3)「パリ、テキサス」(84)
4)「俺たちに明日はない」(67)
5)「恐怖の報酬(1952)」
6)「激突!」(71)
7)「或る夜の出来事」(34)
8)「断絶」(71)
9)「テルマ&ルイーズ」(91)
10)「ミッドナイト・ラン」(88)
参考:英誌が選ぶ「史上最高のロードムービー50本」(映画.com)
参考文献:ウィキペディア、映画.com、ほか
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