■音楽|ヴィーナス ショッキング・ブルー

1970年万国博覧会は、新しい時代の幕開けを告げた!


ヴィーナス ショッキング・ブルー Venus Shocking Blue

そこにあった未来はいま

1970年の3月〜9月まで開催された大阪・万国博覧会は、64年のオリンピックと同じく、日本が世界のなかで、ふたたび認知されるための一大イベントであった。このイベントは、激動の60年代の終焉とともに、新しい時代に入ったことを高らかに宣言したのであった。1970年は、西暦でいえば60年代の終わりである。

しかし、このイベントは、新しい時代の幕開けを意味していたと思うのである。70年を区切りとして新時代がはじまったと捉える方が、何かしっくりとする。これは世紀のはじめを、01年からとする概念に反するが、個人的にはこれに何か疑問があった。

通常、世紀のはじめは01年からとされているが、これに対し世界的に疑問を呈する人々がいるようである。世紀のはじめを00年とするのが望ましいと考える人々によって議論が交わされているが、いまだ00年を世紀のはじめとするとは決まっていない。

世紀のはじめは01年であるが、10年紀のはじめは00年でいいらしい。よって70年代のはじめは1970年である。あしからず。

さて、この1970年の万博景気に湧く当時の日本で大ヒットしたのが、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」である。69年に発売され、70年2月、アメリカのビルボード週間ランキングで1位となっている。また70年の年間チャートでも22位である。

ちなみに、日本では、オリコンで最高2位となっている。 この楽曲は、いまでもテレビ番組の背景音楽として使用されたりする。ある意味では不滅性を有した音楽である。そのキャッチーなメロディーは、その時代の雰囲気をとても良く表現した希有な例であろう。一発屋かもしれないが、この楽曲は永遠に不滅である。


1970 大阪万国博覧会「せんい館」 横尾忠則

万博に行った人は、いまどのくらいいるだろうか。あとわずかすると、この万博の記憶も薄れてなくなるかも知れない。個人的には、万博の記憶はあまりない。実は、会場を訪れてはいるが、記憶がない。要するに子供過ぎたのである。

知識や経験を経て見学していれば違ったろうが、ともかくガキにはあまり興味が湧かなかったのだろう。 ずいぶんと時を経てから、写真や映像を観てなんでもっと興味をもって観なかったのか悔やまれるのである。

例えば、横尾忠則氏の「せんい館」など、知らなかったのである。この「せんい館」は、まるで工事途中であるかのように建設された、意図的なルール違反の建造物であった。しかし残念ながら、実物は見ていない。

しかし、この「せんい館」を観るたびに思うのは、横尾氏の無茶ぶりとそれを許した良き時代であったんだなと思うことである。

大阪万博―Instant FUTURE (アスペクトライトボックス・シリーズ)

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