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■時代と流行|原宿と流行の関係式 その 4

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日本初のクラブ、ピテカン誕生!


街伝説=原宿 (4/5)

伝説のクラブ、ピテカントロプス・エレクトス

1982年、日本初のクラブであり、いまや伝説となったピテカントロプス・エレクトスが原宿にオープンした。桑原茂一と中西俊夫の共同作業によるこのクラブは、あまりに早すぎたこともあり1984年には閉店せざるを得なかった。しかし、このクラブではじまったクラブカルチャーの息吹は、やがてくる90年代に花開くことになるのであった。

しかし、桑原と中西の出会いがあればこそのピテカンであった。これこそ運命の出会いというべきものであろう。

映像のなかの桑原茂一は、太り気味であり秋元康と間違えそうである。メガネも一緒だし、紛らわしいことこのうえない。ま、それはさておきピテカンには当時のスノッブな人々が集まっていたようである。そのなかには、海外の有名人アーティストも多数いたそうである。当時、世を賑わせていたニューペインティングのカリスマ達、バスキアやキース・ヘイリングなどである。

また、海外の音楽アーティストも日本公演の合間に訪れたそうだ。

桑原茂一は太ったが、中西俊夫はちっとも変わっていない。いったい、彼はいくつになったんだ。相変わらず髪の毛はつんつんに立ってるし、体型もスマートである。ただし、若干であるが動きに年齢を感じることができる。しかし、ま、若いなーおぬしという感じである。

ピテカンの店内装飾やビジュアル面は、ほぼ中西が担当したようだ。なんでも、当初はギャートルズのようにしたかったようである。といっても若い人は知らないだろうが、園山俊二の原始時代を背景とした漫画である。ピテカンのロゴは、骨で出来てるがその骨はケンタッキーのやつらしい。そうか、骨か。なるほどね、ギャートルズがこんなとこに表れてる訳である。

このピテカンのオーナーは、どうやら某ファッションメーカーらしい。それが、どこなのか知る由もないが、デザイナーズブランドで儲けたに違いない。このクラブは赤字続きだったらしいから、本業の儲けをつぎ込んでいたことになる。やがて、それも限界になったのだろう。オープンから僅か2年足らずの1984年には閉店したのである。

Style of comedy―桑原茂一のスタイルのあるコメディ (ぴあMOOK)

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