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■音楽|石川セリ 「八月の濡れた砂」を解釈する

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映画「八月の濡れた砂」砂浜でぼんやりと海を見つめる未成熟だが、奔放な少女。
演じるのは、テレサ野田である。

八月は、処女喪失のシーズンか!

何れにしても、過ぎ去る日々

「八月の濡れた砂」を取り上げるのは二回目である。前回は、映画をクローズアップしたので、今回は歌に焦点を当てたいと思うのである。この歌を知らないという人のために説明しておくと、この歌は1971年に公開された「八月の濡れた砂」という青春映画の主題歌であった。

ちなみに、この映画は70年代の若者の感情を先駆けたものであった。また、古今東西、古くて新しい、どの世代も一度は通る普遍的な問題を提起している。と個人的には思うのである。

今回は、この歌の歌詞を勝手に解釈してみようと思うのである。この歌詞の解釈には何通りかあるようだが、個人的には政治的ではなく、性の衝動的なほうがしっくりくるのである。ちなみに政治的解釈とは、60年代に吹き荒れた学生運動などのことであり、それが敗れ去った後の追憶としての歌詞という意味である。

しかし、それは個人的には未体験であり、想像が及ばないのである。


八月の濡れた砂 石川セリ

■八月の濡れた砂|青春の煌めきは、やがて消え去る

歌:石川セリ
作曲:むつひろし
作詞:吉岡オサム

私の海を 真赤にそめて
夕陽が血潮を 流しているの

これは、だれもが想像する通りである。きっと。処女性は、赤い夕陽がやがて沈むかの如く、一瞬の煌めきの後、跡形も無く闇に包まれてしまうのだ。

あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの
悲しみさえも 焼きつくされた
私の夏は 明日もつづく

処女性は、その光が照らす裏側では真っ暗闇に包まれていた。その期待とは裏腹に。そして、思いもしない痛みとともに。しかし、夏は変わらず明日も続くのである。なにごともなかったように。

打ち上げられた ヨットのように
いつかは愛も くちるものなのね

若く滾る血潮は、一瞬の迸りのあと急速に萎えるのである。それが若いことの象徴であるかのように。したがって、そこには振り返る愛など存在しない。

あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの
思い出さえも 残しはしない
私の夏は 明日もつづく

夏の照らす目映い光と、その裏腹にある濃い陰影は、やがて薄れていく。そして影も形も無いおぼろげな印象となって、やがて消えるのである。しかし、夏は変わらず明日もつづくのである。なにごともなかったように。

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八月の濡れた砂 DVD大人になることを拒み、大人に牙を剥ける若者たちのひと夏を描いた日活青春映画の最高傑作であり時代を作った映画である。
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八月に処女性が失われるのは、なんとなくであるが多そうである。違うであろうか。ま、どうでもいい事であるが、突然思いついた次第である。なんら統計的なデータはないが、調べてみたら面白そうである。しかし、それによってなんら利益を得ることはないと思うが。いかがだろうか。と云われてもこまるよね!。

なお、上記した歌詞の解釈は、あくまで個人的解釈であり、作者の意図とは何ら関係ないことを断っておきます。

以下は、八月の濡れた砂が収録された石川セリのベスト!

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