■時代と流行|日本マクドナルドを顧みる 栄枯盛衰の道程

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マクドナルドは、日本に新しい食の概念を定着させた

マクドナルドは、日本にファストフードを定着させた

<ファストフードの生みの親は、自らを何処に導くのか>

日本にファストフードという言葉を浸透させたのは、マクドナルドである。それはほぼ間違いない。日本には、それ以前から牛丼やうどん、そばなどファストフードと同じく安価で気軽に食べられる業態のお店はあった。しかし、それらのお店にはあまり若い女性や子供の姿は見られなかった。

マクドナルドは、そこに勝機を見いだしていたはずである。そして、ファストフードという意味は同じでも、お洒落な雰囲気を纏った言葉、店舗様式、サービスの仕方をもって、若者達や若いファミリー層を取り込む事に成功したのであった。

ちなみにここでいうマクドナルドは、日本マクドナルドのことである。世界のマクドナルドとは一線を画し、日本独自のスタイルとサービスで発展を遂げたのはよく知られているはずである。

何故、日本独自だったのか。それは日本第一号店が、なんと有名百貨店のなかに出来たのが象徴している。

<日本マクドナルド・藤田田と三越・岡田茂という目端の利いた経営者>

1971年、日本マクドナルドは、銀座三越の一階に日本一号店をオープンさせた。銀座、しかも三越である。いわば高級の総本山に安価を旗印にする業態を導入させたのであった。当時の三越社長は、岡田茂氏(後に経営の私物化で解任)であった。巷を騒がせた経営者であったが、目端が利く事でも有名であった。

日本マクドナルドの創業者、藤田田氏も岡田氏に劣らず目端が利いた。たしか、米軍の通訳を経て貿易商社を経営していたとか。そのせいかアメリカや欧米の流行に通じていたはずである。

食の新しいスタイルを浸透させるには、若者の心をつかむに限る。そして、それをファッションと同義語としてしまえば、より多くの消費者に広がって行く。それを実践したマクドナルドは、70年代に店舗網を拡大させていき、ハンバーガーとファストフードの概念を日本に定着させたのである。

70年代では、マクドナルドはお洒落と同義語であった。違うか。現在では歩きスマホが流行であるが、当時は歩きマクドが流行だったとか。要するに、歩きながら食べることである。行儀は悪いが、とにかく利便性が新しかったのではないか。

時代は変わったが、なんのことはない。ハンバーガーやマックシェイクがスマートホンに変わっただけである。いやはや。

それはさておき、そんな訳でマクドナルドは日本における食(中食)の重要なポジションを獲得していた。もはや、ハンバーガーは国民食となっていた。たぶん。

そして、経営者の藤田田も著名な人物となっていた。現・ソフトバンクの孫正義社長が藤田氏を尊敬していたのは有名な話である。

70年代、80年代、そして90年代と一世を風靡したマクドナルであった。が、時代は変わったのである。

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冒頭の写真:銀座三越にあったマクドナルド

日本マクドナルドの迷走がはじまる

<迷走化するマクドナルド、その行く末はいかに…>

70年代の初頭に開業して以来、向かうところ敵なしの快進撃をしたマクドナルドであった。70年代後半には、他のファストフードに先駆けてドライブスルーを併設した店舗を開店した。これは、その後のファストフード業界のみならず他業態にも影響を与えた。

80年代には、商品開発とサービスで他を圧倒した。先行者利益をうまく活用して追いかける同業他社との差を広げていた。この頃を代表する商品が、セット販売の「サンキューセット」というものであった。バーガーと飲み物を合わせて購入するとお得な価格となった。これも、その後の業界標準となっていく影響を与えた。

90年代になると「バリューセット」が登場した。この頃では、エブリデーロープライスというウォルマートばりの標語を掲げていた。これは、いわゆる価格破壊を業界にもたらした。しかし、ファストフードの王となっていたマクドナルドはここでも勝ち抜き、他社との差を広げたのである。

価格破壊は続き、2000年代初頭では、平日半額キャンペーンを行ってデフレ化の勝ち組と称された。しかし、この後一気にマクドナルドに逆風が吹き始めた。

2002年、株価は低迷、円安と客単価減少で創業以来の赤字を計上した。そして、これまた創業以来となる赤字店舗の閉鎖を行っている。経営を立て直そうとハンバーガーの価格を何度か改定するが、それが顧客に不信感を与えてしまい、顧客離れが進んだ結果、さらに泥沼に陥ることになった。

主力のハンバーガーやその他商品の価格を上げたり、下げたりを繰り返すことで迷走状態となったマクドナルドは、ついに創業者である藤田田の退陣を発表した。

2003年からは、あのマクドナルドにもリストラの波が押し寄せていた。人員削減と新規事業などからの撤退が行われた。また、創業者の藤田氏との関係も清算された。

2004年、元アップル日本法人社長であった原田泳幸氏が社長に就任。翌年には会長兼社長およびCEOという経営の全権を得ている。

その後、マクドナルドは価格の再度改訂や、高級路線などを試みる。一時期は業績を立て直したかに見えたが、2006年頃からの24時間営業化の推進。2007年頃からの直営店のフランチャイズ化推進により問題点が発覚していく。

<強引な合理化、効率化の促進で顧客視点を失った日本マクドナルド>

2007年、フランチャイズ店で消費期限切れの材料使用が発覚する。2008年、未払いの残業代で店長に訴えられていたが、敗訴した。店長は管理職に非ずと裁判所に判断されたのであった。(マクドナルドでは店長を管理職として残業代を払っていなかった)

その後もマクドナルドの迷走は止まらない。価格改定をまた繰り返し、さらに顧客の信用を失っていく。また、顧客の客単価アップと回転率向上を目指したカウンターメニューを無くすという行為は、顧客の大きな反発を生んでしまった。

やることなすこと裏目にでるという具合となったマクドナルドは、ついに原田氏の退任と新CEOカサノバ氏の就任を発表する。アメリカ人の経営トップを迎えた日本マクドナルドは、ついに藤田田がもたらした日本的経営とは一線を画することになった。

しかし、それでもなお、いまだ低空飛行(2014年後半)を続けているマクドナルドである。マクドナルドはグローバルマクドナルドになるのか、それともいま一度日本的風土に合った経営を取り戻すか。いまのところ、浮上するきっかけさえ見えないマクドナルドである。

マクドナルド業績悪化に見られるフランチャイズ化の功罪/中泉拓也

McDonald's・Tokyo,_Japan_02

おなじく外国から輸入されたコンビニとの差は如何に

一方、日本マクドナルドにやや遅れてスタートしたコンビニの雄、セブンイレブン(1973年契約、74年一号店開業)はいまだに元気である。同じ様にアメリカを発祥とし、日本に定着させてきたが、マクドナルドは、日本的経営を捨て本家帰りとなった。逆にセブンは、本家を飲み込んだうえ(91年、買収)で独自の経営スタンスを貫いている。

この差は想像以上に大きいはずである。

マクドナルドでは、創業者・藤田田の後を引き継いだ(間に一人いる)原田元社長は、経営の合理化(効率化)を進めたが、それが功を成したのはほんの一時期だけであった。

原田氏が進めた合理化とは、言わずと知れたフランチャイズの推進である。これは、いわばコンビニを倣った経営方針の変更だったと思う。たしかに、直営店でなく、すべてフランチャイズ化できれば人件費やその他コストも削減できる。しかも、あらたな店舗からはフランチャイズ料が手に入る。

机の上では、良い事尽くめの計算であった。しかし、はなからフランチャイズで経営するコンビニとそうではない業態との差が明らかになった。

経験の差といえば、それまでであるが、なによりもマクドナルドの原田氏には、困難を押し進めるビジョンがなかった。そのように感じるが如何に。また、かれは「勝ち続ける経営」という本を出版している。しかし、これにはいやはやとしか思うしかない。なお、あくまで個人的見解である。あしからず。

かれが、新しく社長となった教育産業の会社の今後が注目である。

鈴木敏文会長が語る セブン-イレブン、勝ち続けられる理由とは?(東洋経済オンライン)

<参考文献>
日本上陸から39年の全てがわかる! 「マクドナルド ヒット商品の歴史」

日本マクドナルド(ウィキペディア)

冒頭写真:在りし日のマクドナルド銀座三越店(2007年閉店)

<失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する >
著者は“失敗のしくみ”に着目し、それらのパターン化を試みた。タイタニック号の沈没やチェルノブイリ原子力発電所の爆発、まだ記憶に新しい米国の9.11テロ事件などの歴史的事件・事故から、国内で相次いでいる企業の不祥事に至るまで、200近い事例を徹底的に精査してその教訓を整理していく。

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